純粋とは矛盾色-Necronomicon rule book-

夢と希望をお届けする『エムシー販売店』経営者が描く腐敗の物語。 皆さまの秘めた『グレイヴ』が目覚めますことを心待ちにしております。

カテゴリ:グノーグレイヴ『憑依・乗っ取り』 > 塗り薬『はい、坂本ですが?』

 今の私には、人をモノのようにぞんざいに扱った浩平さんを許すことは出来なかった。
 私の運命は浩平さんによってどれだけ変えられてしまったのだろう――

 納得できる理由が欲しい。
 私は自分を守るために戦おう。
 そのために、彼と会おう。
 勇気を出して、彼に会いに行こう。
 その後のことは、彼に会った後に考えよう。
 私はもう幸せにはもうなれないなら、不幸から脱しよう。

 そして、普通に生きて、普通に死のう。

 ――そんな、普通のことさえ叶わなくなってしまった私の人生を、これからどうやって戻していけばいいのだろう。
 闇の中に溺れている私にとって、真実を闇の中に葬ることで救われる生命もあったと思いたい。真実を伝えたって解決にはならない。ただ浩平さんが楽になっただけなのだから。こんなの自己満足じゃないっ!
 だから、私は浩平さんを許さない。
 一生償って、彼を放さない。
 私、そんなに器用じゃないけど、私に対して悪いことをしたら同じくらい彼に悪戯してみたい。
 だって、もう彼は私の――

      私はあなたを許さない

「私は、浩平さんを許しません」
「・・・・・・・・・」
「信じられない!私をなんだと思ってるの!浩平さんのせいで私の人生滅茶苦茶よ!どうしてくれますか!?責任取ってくれますか!!?
馬鹿!馬鹿ぁ!死ね!死ねえ!浩平さんなんて大っ嫌い!!!うわあああああああぁぁぁっぁあああああぁぁぁあーーーーーーーーー!!!!!」
「―――――」

 ただただ項垂れて、私の言葉を真摯に受け止めるだけの浩平さんに反論する意思はない。だったら、彼の全てを利用して彼の全てを手に入れよう。
 だって私の記憶には、樹下琴子さんの知恵だってあるのだから――!

「わかりました。でしたら浩平さんには私の家庭教師になってくれませんか?」
「・・・・・・家庭、教師?」

 耳に入った言葉にピクリと反応し、顔を起こす。

「私、大学に入りたいんです。でもお金もないし、勉強だってしてきませんでした。だから、この一年で東大に入れるくらいまで私を育ててほしいんです」
「さ、坂本ちゃん・・・!」

 東大・・・それは決して簡単なことじゃない。高校だけではなく、小・中学も勉強漬けしてやっと入れるという難問クラスだ。それは浩平さんにとっても簡単なことじゃないことは知っています。
 これは私だけじゃなく、浩平さんをも縛る約束。二人で東大という関門を超えなければいけない試練を課した。

「それは・・・・・・」

 彼に拒否権はない。それほどのことをしてきたのだから。私に”憑依”したらもしかしたら起こらなかったかもしれない。でも、起きてしまった事実から逃げような真似はもうさせない。

「お願いできますよね、浩平さん?」

 どんなに絶望的な顔しても、浩平さんは私と一緒に奈落に落ちてもらいますからね。


続きを読む

「・・・・・・顔を上げてください。浩平さん」
「――――」
「今更、そんなこと言われても、どうしようもないじゃないですか。お互い傷つくだけだって、わかっていたでしょう?」

 たとえ辛くても、たとえ苦しくても――

 納得できる理由が欲しい。
 私は自分を守るために戦おう。
 そのために、彼と会おう。
 勇気を出して、彼に会いに行こう。
 その後のことは、彼に会った後に考えよう。
 私はもう幸せにはもうなれないなら、不幸から脱しよう。

 そして、普通に生きて、普通に死のう。

「――それでも、私に真実を伝えたかった。それが、私の望んだものだったって、浩平さんに伝えていましたから」

 伝えることが出来なかった。その真実があまりに重すぎたから。それでも、伝えようとした気持ち、真実を闇の中に葬ることより、世界中の人を敵にしても救いたい人の為に動いたあなたの行為を――私は誇りに思います。


「ありがとうございます。浩平さん。私は浩平さんを許します」


 ・・・
 ・・・・・・
 ・・・・・・・・・

 決して、許されるはずがない。罵倒して、詰って、殴って、恨んでくれた方が救われる。
 なのに、どうして怜夢は俺に対して穏やかな表情が出来るんだ?
 涙を流して憎むべき相手が目の前にいるのに、そんな相手を許してしまうことが出来るのかよ・・・。
 そんなの、もう、人としての感情を壊しているんじゃないのか?人じゃない――!

「どうして、きみは許してしまうんだ?俺がしたことは決して許されるものじゃない」
「だって私。浩平さんが好きですから」
「違う!それだって、偽りなんだぞ!琴子の記憶を模写しただけなんだよ!!!記憶をコピペされて、自分の感情をなくして受け入れることができるのか?それはもう別人格だ。きみはいったい、誰なんだ?きみ自身分かっているのか!」

「はい、坂本ですが・・・・・・それが私です。それが、私の普通です」

 確固たる自分なんて持たなくていい。今までの栄光ある記録はなく、誰かのおかげで生きてきたことを、これからも続けていく。感謝する心だけを残した人格、坂本怜夢としての記憶を持ち始めたのだと語り掛ける。

「私は誰かの力で生きてきました。そして、これからも私は誰かの力で生きていくのだと思います。辛くても、苦しくても、誰かのために生きて頑張ろうって思ってます。浩平さん。私は浩平さんのために生きていきます」

 俺は彼女を誤解していた。怜夢が俺を好いていたのは、琴子の記憶なんかじゃない。坂本怜夢の本質そのものだった。感謝の心があるから辛い仕事も頑張れる、感謝の心があるから助けたいと思う。
 彼女はアイドルだった。生まれ持った天性の素質を持つ、誰も知らない理想像だった。
 そんな怜夢に俺が出来ることをするしかないじゃないか。応援や支援を絶え間なく続けていこうと心に誓う。

「俺も怜夢のために頑張るよ。きみの借金を返済するために、少しでも力を貸すよ」
「ありがとうございます、浩平さん」

      共に生きる

 屈託ない笑みを浮かべる怜夢が俺に手を差し伸べる。その手を俺は両手でしっかりと握り返した。



続きを読む

――坂本怜夢はAV女優に転身した。

 彼女の噂は田上浩平の耳まで届いていた。
 清純派アイドルとして地下アイドルから活躍しており、日の目を見るまであと一歩のところまで来ており、将来が約束されていたはずのアイドルの落ち度は千村貴明ならびにアイドルヲタク達にとって大打撃を与えるものだった。

「貴明が寝込んでもう5日経つよ。高橋さんでも今回のことは頭を悩ましているみたいなんだ」

 仲間である布施義也ですら心配するほどであり、普段は絡みのない浩平の元まで話に来るほどだ。週刊誌でも報道されているアイドルの転落。アイドルの転身なんて普段からある話題にもならないものだ。それが世間で大きく取り上げているほど、彼女の期待は報道各社大きかった裏返しであり、彼女の裏切り行為からの違約金数億円のために彼女はAV女優を決めたという皮肉な報道という見出しで取り上げていく。

「はぁ・・・。残念だな。彼女の心も結構病んでたのかな。ファンに夢を与えるために自分の身体を与えるなんて。・・・アイドルなんてなるもんじゃないね」
「・・・そんなんじゃねえよ」
「えっ・・・?」

 このご時世、自己防衛するために他人を犠牲にする中、わざわざ自己犠牲したって誰も救えない。良い様に利用されて捨てられる。
 彼女が転身したのは誰かを救おうとしたわけでもなく、自分がなりたいからなったのだ。
 坂本怜夢が自分で出した結論だ。
 それが誰かの介入があったものだとしても、彼女は自分で出した結果だと受け入れているはずだ。
 なんて、愚かな答え合わせだ――。

「バナナうめえー」
「おい、琴子」

 昼飯でバナナを食べる樹下琴子に問いただす。

「あれはなんだ?彼女になにをしたんだよ!」
「彼女?・・・ポポちゃん?」
「持ってねえよ!」
「うそ!浩平子供の時持ってたじゃん!」
「切り刻んだわ!おまえが俺のポポちゃんを舐めまくったせいで匂いが取れなくなったからな!」
「いやーん。浩平ったら猟奇的な彼氏!」
「お前の方が狂気的な彼女だ!」
「浩平。彼女とか、あれとか言われても分かんない。彼女=ワ・タ・シでファイナルアンサー?」
「フリーエージェント宣言で一生終われ!!!」

 話が一向に前に進まないのを強制的に突き進んでいく。

「坂本怜夢・・・俺の家に来た彼女におまえは何をした?」
「うーんとね。覚えてない」
「マジでぶん殴るぞ」

 天然キャラぶっている琴子に顔を近づけて眼を飛ばす。その本気さをみせつけると琴子はようやく重い口を開いた。

      黒まじゅちゅ

「忘れさせたの。記憶を」
「・・・・・・はっ?記憶を忘れさせるって・・・・・・黒魔術かよ、おい」
「詳しく言うと別の記憶を植え付けたの。私の記憶をね。だから彼女にとってアイドルをやっていた記憶はあるけど、もう過去の遠い想い出にしか思ってないよ。そうしないと、彼女辛いでしょ?」

 華やかなアイドル生活から一変、息を殺して人目を避けて生活するインドア生活。
 そんな生活を過ごすくらいなら、いっそ記憶を忘れさせることが出来ればどんなにいいか――。

「な、何言ってるんだ。そんなわけあるはずがないだろ!お前はなんてことしてくれたんだよ!!」

 浩平は否定する。記憶を忘れさせることは、その人の生き方を忘却させる行為。今まで積み重ねてきたものを忘れて新しい道で生きていくことが決して平たんな道ではないことを浩平は多くの職業を通じて知った。
 培ってきた技術、体力が後の人生を楽にする。そのために勉強している――琴子がやった行為は、怜夢に対してなんの救いにもなっていないのだから。
 しかし、琴子は浩平を肯定する。

「そうだよ。だって――」
「あっ?」
「そう言ったのは浩平だよ?彼女が炎上したせいで仕事を失ったことを助けてほしかったんでしょう?」
「おまえ・・・それは――!!!」

 浩平はようやく気付く。琴子が怜夢を忘却させた本当の理由は、彼女を救うためではなく――

「私たちのせいだもんね」
「――――っ!」

 最初から、坂本怜夢というアイドルに”憑依”して楽しんだのは――浩平だ。
 職業体験なんて名目で、彼女の身体を弄んだのは他ならない浩平自身だったことを思い出させる。

「彼女が仕事を失ったのは私たちのせいだってことを彼女に伝えられるの?”憑依”している間に浩平とセックスしましたなんていう夢物語を伝えれば・・・・・・、彼女それだけで病むんじゃないかな?」
「・・・・・・くっ」
「だから記憶を改変させたの。アイドルなんて初めからやらなかったって言う記憶を植え付けたの。夢を追って失敗したって言う記憶に変えて、一からスタートさせたの」

 怜夢が変わることで救われるのは彼女だけじゃない。浩平も琴子も救われるのだ。
 彼女に”憑依”した記憶を探られることは無くなり、やがて偽りではなく本当に忘却されて勘繰られることは無くなる。

「だけど・・・そんなことしてもいずれボロが出る。綻びから記憶を取り戻すことだってある。現にアイドルやっていた彼女の違約金はどう説明する。彼女一人の記憶を弄ったところで変えられない事実だろう」
「うん。だから彼女には底辺の家の生まれの記憶を植え付けた。借金を背負って今まで生きてきたんだって、そうすることで彼女が借金を持つことが当たり前だって簡単に受け入れたでしょう?」
「お、おまえ・・・・・・そこまでするか・・・・・・」

 記憶を消せば生まれや家庭だって変えられる。だとすれば、怜夢は浩平と会ってから家に帰っていないことになる。それを自分も不審がらず、当然とばかりに受け入れてしまっているという事実。
 浩平の方が事実を受け入れ辛い。

「こんなこと・・・ありえるのかよ・・・・・・っ!」 
「人は忘れられるから幸せになれるのよ。悲しい記憶を一生忘れられないのと、偽りの記憶から幸せを見つけて再出発させるのとどっちが幸福だと思う?」
「そんな・・・そんなこと・・・・・・っ!」

 口籠る浩平。そんなことを言い出せば幸福とは何かを考えさせられる。
 幸せってなんだ。偽りの幸せじゃまずいのか?辛いけど真実の方が幸せなのか?
 不幸なことが幸福って意味が分からない・・・。

「浩平ならどっちの答えを出すの?どっちが彼女にとって幸せだと思う?」

 息苦しさを覚える。しかし、それは浩平だけじゃないはずだ。
 同じ境遇、同じ立場であるはずの琴子はそれを平然として受け入れている。

「何故だ。琴子・・・おまえはどうして俺に語り掛けてくる。こんなことしておきながら、なんで平気な顔してるんだよ」
「フフフ・・・・・・」

 一瞬緩んだ琴子の表情が、昔の面影を見せる泣き顔にも見えた。
 しかし、それは本当に一瞬で、窓辺に差し込む射光の煌めきにも思えるうちに表情から消えていった。
 淡い淡い一瞬の幻。琴子の強がりを垣間見た瞬間を逃さなかった浩平は、その心理が分かってしまった。

「・・・・・・それが、お前の出した答えってことなんだな」

 浩平よりも先に、琴子が出した答え。それが、記憶改変。
 浩平が琴子よりも先に怜夢の質問に答えてあげていれば、彼女がAV女優に転職したことは起こりえなかった。
 浩平なんかよりも琴子の方が心が強かった。
 だから迅速に答えを導いたのだ。
 それが、どんな結末になるかなんて琴子には考えもしなかっただけで――。

「俺とお前が彼女の人生を狂わせた。そして先に琴子が答えを示した。俺がお前を非難する権利はない。だけどな・・・おまえはそれで納得できるのか?彼女の記憶をなくして、晴れやかな気持ちで明日を迎えられるのかよ!」
「浩平のいう事はわかる。でも、そんな綺麗事で生きてはいけないよ」

 綺麗事を正当化する琴子。そして綺麗事を否定する浩平。

「だって、浩平は私と、罪を背負って生きていきたいの?」
「あっ?」
「全てを彼女に話して、彼女が納得すると思う?謝ったら、私たちが逆に彼女に恨まれるんだよ。だったら、知らないことに蓋をしよう。全てを知って不幸になるくらいなら、知らないまま生きていた方が幸せじゃない・・・そうでしょう?」

 誰か人に恨まれて生活する。それがどれほど苦しいことか分からない。
 昼は見ず知らずの人に後ろ指刺されて、夜には人気のない道で見ず知らずの人にナイフを刺されるかもしれない。
 日常が終わり、非日常的な生活を過ごす覚悟が高校生の琴子にはない。だからこそ琴子は現実的に綺麗事を並べたのだ。
 怜夢を傷つけても良い。怜夢のファンを敵にしても、一番大事な浩平が無事ならそれ以外を切り捨てたのだ。
 その想いが浩平には痛いほど伝わってくる。
 何考えているか本当に分からない、琴子の本音を初めて知った。

「俺だって、そんな綺麗に生きてる人間じゃねえよ。声でけえし、目付き悪いし、他人に怖がられるし、嫌われる人間が多くて、この学園全員と仲良く生活できる自信なんて間違いなくねえよ。そんな中で、俺の良き理解者でいてくれる琴子に、感謝をする」
「浩平・・・・・・」
「でもよ、そんな俺だからこそ彼女を救いたいんだ。恨まれて蔑まれて、罪を背負って罰を被る。他人の人生を踏み躙った罰を、俺は喰らうべきなんだ!」

 他人に乗り移り、職業体験なんかを名乗ってしまったことでどれだけの迷惑を被っただろうか。
 それを企画した琴子を非難するつもりは毛頭ない。浩平がそれに便乗して、一緒になって遊んでしまったのだから。

「勉強できたって意味がない。それくらい俺は大馬鹿野郎だ」

 浩平が踵を返すと同時に、琴子が息を呑む。そのまま浩平に飛びつき、行き手を遮った。

「そんなのヤダ!浩平を不幸になんかさせない!私が浩平を守る!」
「やめろ!琴子!行かせてくれ!」
「意味が分からないよ!なんで自分から不幸になるのさ!一緒に”憑依”して楽しかったじゃん!なんで後悔してるのよ!私は間違ってなんかない!だから浩平を不幸にさせたくない!」
「俺たちのやらかしたことで悲しんでいる人がいるんだぞ!彼女を放っておけるわけないだろ!」
「忘れてるから大丈夫!浩平は私より怜夢を取るの!?」
「違う!」
「違くない!お願いだから浩平!私を一人にしないで!!うわあああぁぁあぁああ―――――ん!!!」

      世界を敵にしても守りたい人がいる

 堰き止めていた感情が爆発して、初めて琴子が人前で涙を流した。
 何を考えているのか分からないけど、今だけは浩平には痛いほどわかった。
 全ては浩平のために尽し、罪を被っていたこと。浩平を守るために、自ら汚名を被る覚悟は出来ていたこと――そんな琴子を浩平は見捨てるわけにはいかなかった・・・。


続きを読む

「坂本ちゃん。出番だよ」

 隣で私を呼ぶ声がする。本番が始まり、緊張する私の隣に男性は腰掛け談笑を始めた。

「は、はい・・・なんだか、緊張しますね」
「いやいや、こっちの方が緊張するよ。まさか、本当にオファーしてくれるなんて思ってなかったからね。きみ、本当に坂本ちゃんだよね?」
「はい、坂本ですが?」
「業種が業種だけに、あんなことやこんなことしちゃうと思うけど、頑張ってね」
「・・・・・・でも、私・・・どんな仕事かよくわからなくて・・・・・・すみません」
「新人だからしょうがないよ。今日は簡単なインタビューだから座って答えてくれればいいんだよ」
「それでしたら・・・はい・・・・・・」
「そんな顔じゃダメダメ。カメラを見て、笑って」
「はい・・・・・・あ、あはは・・・・・・なんだか照れちゃいますね」
「お仕事だからね。そろそろ始めるよ」

 私の正面に立つ三脚にセットされた撮影用カメラが、赤いランプを照らしていた。
 録画が始まったのだ。
 私はカメラの前で手を振り、うっすらと笑みを浮かべた。

      今日もお仕事

「こんにちは、皆さん。坂本ふぁんとむです
「うおおおおお!!!」

 久し振りの撮影。そして、坂本霊夢―さかもとれいむ―の久し振りの仕事だった。それは、別業種に映った場所でも私は話題になっていた。

「坂本ちゃんって、地下アイドルで話題になってたよね?いやぁ、地下は地下でもこっちの世界に来てくれて嬉しいな。ファンもきっと待ってたと思うんだよ?」
「そうなんですか?あはは・・・そんなことないと思いますよ。私なんて、全然人気ありませんから」
「いやいや、あの一世を風靡した種田架純にほんとそっくりだね。芸能人にそっくりな女優を集めたり、超激似!と広告を出したりしたりやってるけど、ここまでそっくりな子が来ることはなかったよ」
「それって・・・」
「きみはいるだけで需要があるってことだよ。ましてやこの若さだ。これからさらに需要は出てくるだろう。いつまでだっていてくれて構わないんだぞ。ファンが君に憧れを抱く限り俺が最高の被写体を撮り続けるよ」

 表の世界から裏の世界へ。坂本霊夢が決めた転職は、初めから過酷と知っている世界だった。それでも、多少なりとも知名度があれば、生きるだけの資金が確保できる世界だった。そのために私は――

「ひゃっ!」

 突然、後ろから胸をがっと揉まれて驚いてしまった。知らない間にもう一人男性がやってきていたことに身体が硬直する。

「ふひひ・・・。良い声だねえ」
「あ、あの・・・でも、インタビューだけじゃ・・・」
「んん?軽いスキンシップだよ。インタビューだけじゃ退屈でしょ?」
「そ、そういうものですか・・・・・・」

 引きつったまま笑みを浮かべながら、私はチラチラと後ろを振り返った。慣れた手つきの男に胸を揉まれ、声が出そうになるのを耐え続ける。

「坂本ちゃんはこういうえっちな水着着たりしなかったの?」
「はい。イメージが重要でしたから、きわどいのは流石に・・・」
「プライベートでも?」
「持ってないです。誰かに見られたら恥ずかしいですし」
「ふぅん・・・いまカメラの向こうで大勢のファンがきみの水着姿を見ているわけだけど?」
「ダメです・・・、こまります・・・・・・」
「おや、水着の奥で坂本ちゃんの乳首が硬くなってきてるね」
「くあっ・・・はあぁぅ・・・・・・」

 男優は両手でしつこく胸を揉みし抱く。質問と同時に乳首を擦られ、一気に頬が熱くなる。

「彼氏とかいないの?」
「いないです・・・」
「初体験は?」
「まだ、です・・・」
「へええ!じゃあ、処女を俺が奪っていいの!?サイコーじゃん」
「・・・・・・どうして私はAV女優になったんだろう・・・?」

 目の前のレンズが気になって笑顔を保つことができない。突然思う自問自答。転落した人生の答えを知るためにさらに深い溝に落ちていっている気分だ。靄がかかる頭の中で、それでも仕事をこなさなければいけないことに集中して質疑応答を繰り返す。

「彼氏がいないんじゃ、自分で慰めたりしてるんだね。性感帯はどこ?」
「性感帯は・・・乳首・・・です。先端を指で弄られると、はぁっ・・・すぐ、イっちゃうんです」
「へえ?すぐなんだ。試してみようね」

 男優が相槌を打ち、乳房を揉むのをやめて中央に突起している乳首をつまむ。ただでさえ散々弄ばれ、乳房全体が敏感になっている中で、勃起した乳首を潰す様に押し込んでくるので、ビリビリとした電流が身体に激しく流れてくる。

「やぁ、だめ!ダメなんです。それ、すぐイッちゃいますっ・・・こんなに早く!いくっ!おっぱいだけで・・・・・・んあああぁっ!はぁっ!」」

 あっさりと私の身体が限界を迎え絶頂の予感に両足が震えだす。早くも私が軽くイったことに男優陣はいやらしく笑っていた。

「本当にすぐイクなぁ。えっちなことが好きなんだね」

 絶頂を映してしまったことに嫌悪感を覚えるものの、お仕事だから仕方がない。私は無理に笑みを浮かべて冷たく光るレンズを見つめた。男優は私が果てても手を緩めず、痺れる乳首をしつこく弄り続けた。

「・・・その・・・はぁ・・・・・・そろそろ・・・む、胸は・・・・・・」
「ん?胸を責められるの好きだよね?」
「好き、ですけど・・・・・・もう、胸ばっかりは・・・・・・」
「ああ、そういうことだね。胸ばっかりだと切ないよね」

 とぼけたように大袈裟にリアクションを取る男優は私の意図がわかったといわんばかりに手を合わせた。

「じゃあ、新たな場所を開拓をしてみようか?」
「え?開拓って・・・?ひやぁ!」

 男優が顔を近づけて私の手を掴むと大きく上に挙げて腋を見せると、その場所に顔を近づけた。

「はぁはぁ・・・・・・坂本ちゃんの腋汁ぅ~」

 鼻を鳴らし、私の匂いを嗅ぐ行為。ファンとの距離より全然近い場所で仕方ないとはいえ自分の体臭を嗅がれる行為に恐怖感を覚えてしまう。

「な、なにしてるんですか?き、汚いです」
「ううん、汚くないよ。ここに坂本ちゃんの汗のにおいが溜まってるんだよ」
「ひぅっ!」

      泣かない

 男優が鼻を鳴らし、クンクンと嗅覚を研ぎ澄ませて私の腋のにおいを嗅ぐ。

「つ~んってむせかえる匂いたまんないっ!むしゃ、ぺろぺろ。はぶぅ、ちゅっ、ちゅぅ~」
「やっ、そこはっ!んくっ、だめ、吸わないで・・・」
「若い健康的な汗を綺麗に吸い取ってあげてるんだよ?感謝してよね~ちゅぶっ、ちゅっ、ちゅっ」
「あっ、あっ、いやぁ、こんなの・・・恥ずかしい!」

 思わず出てしまう本音。腋の下に伸びる鼻と舌。口をつけてちゅちゅう吸われる行為は慣れるものではない。生まれて初めて私は堪えきれず涙が滲んだ。

「恥じらいの表情たまんないな!ちゃんとカメラに収めてあげるからね」

 男優二人で私を慰めようと優しい声で身体をまさぐる。気持ち良いのか気持ち悪いのかすら分からない。呆然とする頭の中で、身体だけが素直に反応してくる。

「はぁ・・・はぁ・・・」
「こんな破廉恥なことをされているのに、どんどん身体が感じちゃってるのがわかるよ。水着ももうこんなに濡れてスケスケになっちゃってるし」

 感じやすいというくらい私の身体は愛液を垂らして水着を濡らしていた。自分自身が恥ずかしいというべきなのだろうか・・・。

「なんだい坂本ちゃん?言いたいことがあるならカメラを見てハッキリ言って」

 訴えかけるような表情をしていたのだろう。今の私の表情をカメラの向こうで見ている人はどう思うのだろう・・・。
 だめ、そんなこと・・・言っちゃダメ。いくらAV女優だからって・・・・・・でも、欲しい。欲しいよ・・・。
 本音と建前・・・どっちの私も葛藤していく。
 
「あ、あの・・・も、もう私。我慢できないんです」
「えー?どうしたいの?」
「だから・・・私とセックスしてほしいんです」
「ふひひ・・・じゃあ、カメラの向こうのお客さんにも笑顔でお願いして?」
「インタビューしかしてないのに、すっかりエロ顔になってるし」

 男優の声はもう私の耳に聞こえない。聞こえないように誤魔化していく。

「はぁ・・・はぁ・・・今から、セックスを・・・します」
「もっとお客さんを喜ばせてよ。詳しく、いやらしくおねだりしてごらん?」

 男優からの耳打ちされた言葉はよく聞こえなかったけど、何を言えばいいのかは理解できた。

「私の・・・いやらしいおま〇こが、ぶっといおち〇ち〇に犯されるところを見てほしい!私のセックスを見てください!」

 想像しながら声を喘ぐだけで甘い快感が背筋を駆け巡る。
 私の水着がさらにくちゅりと濡れた。

続きを読む

「たまたま近くを歩いていたらきみに逆ナンされたんです。だから俺は悪くねえ。俺は悪くねえ!」
「そうですか・・・」

 俺の言葉に怜夢はただ静かにうなずいていた。決して彼女が納得したわけじゃない。しかし、これ以上の検索は俺に迷惑がかかると怜夢が配慮した答えだった。おかげでしばらくの間沈黙が続いた。一般人とアイドル。普段なら手が届かないところにいるはずの関係なのに今は同じの家の中にいる。彼女が勇気を出して俺の元までやってきてくれているにも関わらず、俺たちの距離感が縮まることはない。

「どうして俺の居場所が分かったんですか?」
「ネットで聞きました。ファンの中には事件の真相を突き止めようと試みた人がいたみたいで、写真から田上さんの情報を提供してくれた人がいました。半信半疑でしたけど」
「ネットこえぇぇ・・・」
「ごめんなさい。決してあなたを疑っているわけではありませんでした。私も自分の犯した過ちの真相を知りたかっただけなんです。急に押しかけてしまって申し訳ございませんでした」
「いえ・・・」

 「おじゃましました」と、すっと立ち上がる怜夢の後姿を俺は見送っていく。彼女の知らない記憶の断片を俺は知っているだけに、心苦しいものがある。しかし、それを本人に伝えることなどできやしない。例え、怜夢本人が苦しんでいたとしても、俺と琴子が他人の身体を弄んだことを知ってしまえば、嫌われるだけでは到底許されない制裁を受けることになるだろう。
 社会的制裁・・・。社会的道徳・・・。憲法・・・。司法・・・。
 他人を傷つけた者には万人必ず罰を受ける。
 それは決して逃げられない。
 夢や希望を持つ俺たちだって関係ない――。
 好奇心や向上心で「つい」「うっかり」「おもわず」「とっさに」「そんなつもりはなく」、――怜夢を傷つけてしまったのだから。
 それは俺だけじゃない。
 天才だろうが馬鹿だろうが関係なく――
 男だろうが女だろうが関係なく――
 琴子にもその罰がやってくる。

「ヤッホー!浩平!帰ってる?」

 こんなタイミングで樹下琴子が家にやってくる。そして怜夢と鉢合わせする。

「はっ!な、何奴!?」
「えっと・・・お友達ですか?」

 怜夢にとって琴子とは初対面だ。きょとんとする彼女をよそに俺は琴子に粗相がないように先に釘を打っておく必要があった。

「琴子・・・待て、何も言うな」
「あれ?・・・よく見れば・・・私が取り憑いたアイドルちゃんだよね?」
「琴子!!?」

 やりやがった。琴子が先制パンチをお見舞いしやがった。取り憑くとか今のこの雰囲気では絶対に御法度にしたかったワードの一つだ。怜夢の表情も引きつり始めていた。

「取り憑いた・・・へ?」
「まさか、あの時の快感が忘れられないからって遥々家までやってきたの?こ、この・・・色情魔!!」

 マズい。琴子が暴走しかけている。良からぬ発言で誤解を招くことは出来るだけ避けなければ取り返しのつかないことになる。

「浩平もまさか、こんな子を家にあげるだなんて・・・私という内縁の妻がいるにも関わらず、情が移ってあわよくばワンチャンあるなんて画策するだなんて・・・」
「・・・・・・そうなんですか?」
「妄想をやめろ!頼むからやめてくれ!」
「この泥棒猫。殺しておけばよかった」
「物騒なこと言うな!」
「ふっ。案ずるな、浩平。――生きているのなら、神様だって殺してみせる」
「お前がその台詞を言うな!」

      b273805c.jpg

 琴子がポケットから取り出したのは短刀・・・ではなく、小瓶に入った薬だった。

「浩平に言われて『馬鹿につける薬』を手に入れてきた。『飲み薬』をくれた関西弁のお姉ちゃんが『こいつは劇薬やで!』ってくれた代物なんだよ」

『飲み薬』も貰い物だったのかという突っ込みを置いといて、琴子が持ってきた新たな薬は、『飲み薬』と同じくらい劇薬という代物だとすれば、さすがにヤバいとしか言い表せない。

「それを使って何をしようって言うんだよ・・・」

 琴子は鼻で笑うと、手に持った『薬』を口に持っていき、ゴクゴクッと、喉を鳴らして飲み干していった。

「ぷはぁ!うめえ!」

 おいおい、やりやがった。『馬鹿につける・・・薬』なのに飲んじゃったよ・・・。
『塗り薬』みたいなものを想定していたのだが、飲めるのかよ。それ、本当に飲んで大丈夫な代物だったのかよ。一回で全部飲み干して用法用量合ってるのかよ。
 馬鹿か。樹下琴子はここまで馬鹿だったのか。馬鹿は死なないなんていう言葉はあるけど、むしろ死にたがりのようにしか見えなかった一連の行動の後――

「うっ」

 琴子はその場にばったりと気を失って倒れた。慌てて駆け寄った俺は琴子を抱き上げると、苦しそうな表情を浮かべているわけでもなく、呼吸を正しく眠りについているようだったので安心する。それはまるで、『飲み薬』の時と同じ展開を予感していた。
 そのことに気付いて慌てて怜夢に振り向いた瞬間――

「うぅっ・・・」

 怜夢の身体がぷるぷる震えており、苦しそうにもがく様子が俺の目に映った。
 しまったと思っていてももう遅い。俺は慌てて引き返し、今度は怜夢を抱きかかえた。

「しっかりしてください。坂本さん!坂本さん!」

 何度か肩を揺らす俺の言葉が聞こえたのか、しばらくして怜夢はゆっくり目を開けた。先程までの苦しみや痛みは全くなさそうで、きょとんと俺の顔を見つめた怜夢の様子に胸を撫で下ろす。しかし、俺は知っている。それは決して余裕や猶予があるわけじゃないということ。憑依した相手が他人の身体を浸食し、馴染み終わったことを意味するのだということを。

「・・・・・・バナナ食べたい」
「坂本さぁん!!!」

 怜夢の口から出ていた突拍子もない発言に、俺は身体を強張らせた。


続きを読む

 坂本怜夢―さかもとれいむ―は普通の女の子だった。
 対して取柄があるわけじゃないし、自画自賛するほど可愛い訳じゃない。同じ年くらいの子と同じくらいの身長、体重。スリーサイズだって特質しているわけじゃない。普通に夢を持ち、普通に願望を持ち、普通に未来を持ち、普通の生活をしている高校生だった。
 だから最初は私がアイドルになれるなんて信じられないくらい夢見心地だった。

 生まれてこの方、アイドルになりたいと思っていたわけじゃない。何気なく街中を歩いていたら「芸能界で働きませんか?」と声を掛けら―スカウトさ―れただけの、特に夢も希望もない理由だ。
 アイドルを続けたいと思っているわけじゃない。将来不安だし、お給料が良いわけでもない。入れ替わりの激しいテレビ界隈で、時期が来ればきっと辞めることができるだろうと静観しているもう一人の私がいた。
『アイドル』とはつまり自分という商品。自分の人気が価値になって評判になって、立場になって、お金になる。
 それが普通なんだと思う。
 その中で私が人より少し売れたのは異例であり、特例であり、異質であり、特殊なんだと思う。

「彼女ってもしかして種田さん?」
「凄いだろ?かつて一世を風靡した種田架純と瓜二つの新人、坂本ふぁんとむちゃんだ」
「別人なの?血も繋がってないの?」
「ドッペルゲンガーみたいだろ。その魅惑こそ彼女の魅力だ」

 ――そう。私はドッペルゲンガー。伝説のアイドル、種田架純と瓜二つの容姿を持つ赤の他人。『生まれ変わり』のアイドルと言われる私の知名度は瞬く間に上昇した。地下アイドルとして発掘される前に大手事務所と契約は成立していて、来年にはドラマ、CM出演の話も飛躍的に増大する話がでていた。お茶の間に顔を出すのも時間の問題という順風満帆さに私は逆に不安になっていた。
 しかし、それが本当に私の価値なのだろうか・・・・・・CDを出せばミリオン連発、テレビに映れば高視聴率、コンサートを開けば会場だけではなく、場外で隣駅まで出待ちが群がる。当時の社会現象すら作り出した伝説のアイドルの面影に便乗しているだけの私、坂本怜夢に果たしてそれだけの価値があるのだろうか・・・。
 本当の自分ですら他人に見せたことのない私が、アイドル業をやっているのだから失礼極まりないのは分かっている。でも―――――、

『忙しい?立編結構なことじゃない。人生暇しているより全然マシよ』
『売れればいいじゃない。怜夢はファンのイメージ通りの行動をして喜ばせてあげればいいのよ』
『休みたい?どうしてそんな自分勝手なことを言うの?以後言葉に気をつけなさい。理由によっては今後の出演を減らさなくちゃいけないけどそれでいいの?』

 もう世間の波は私の力じゃ止めることは出来なくなっていた。私の想定を超える反響に驚愕し、同時に恐怖を覚え、足が竦み縮こまる想いを隠し、偽りの笑顔でイベントの数をこなしていくしかなかった。
 強大すぎる力の一つの駒と成り果てた私は、言われた通りの場所に行き、言われた通りの行動を取り、言われた通りの言葉を繕う、ただの偶像でしかなかった。ファンが貢いでくれた雀の涙ほどのお金は事務所へ流れ、私にははした給料しか入らない。それでも売れている限り私は逃げられないと悟った時、会社に貢献して行動の場を広げることで、いつか事務所の目が届かなくなるのではないかと思っていた。

 今日もアイドルのイベント会場でのイベントに参加した私。マネージャーも前会議の予定が重なり到着がイベント後になってしまい、急いで打ち合わせを始めていく。私はスタッフさんが私のために用意してくれた会場作りに感謝の言葉をかけていく。一人一人に挨拶をしていくと疲れた表情の中でぱっと笑顔になって返事を返してくれる人もいる。しかし、その中でも事務所と内通して私の行動を監視している人がいるのだ。偽りの笑顔を偽りの笑顔で返しながら、心だけは絶対に縛られないように心掛ける。身体はもう雁字搦めで見動きが出来ない状態でも、私の心だけは自由でいたいと切望しながら今を生き続ける。
 安直にアイドルなんてならなければよかったと後悔してももう遅い。自分を殺し、商品化してこそ私なのだから。
 ぞくりっと悪寒が走る。それは私に芽吹いた小さな諸悪の根源だったのかもしれない。その芽は瞬く間に開花して私の意識を塗りつぶすように埋めていき、気付けば私の記憶はそこからしばらくなくなっていた。
 ・・・・・・・・・。
 ・・・・・・。
 ・・・。

(この作品は、GG『飲み薬―職業ガチャ―』とリンクしており、合わせてお読みいただけるとより楽しめるようになっております)

 ・・・
 ・・・・・・
 ・・・・・・・・・

「――――――えっ」

 気が付けば私は会場のトイレで眠っていた。しかもスタッフやキャストが使用する専用ではなく、来客が使用する店内トイレだった。どうしてこんな場所に居て眠っていたのかもわからない。私にはここに来た記憶すら覚えていない。ライブ衣装のままやってきて、いったいどのくらい眠っていたのかもわからない。
 私がスタッフの元に戻った時――会場は大慌てな状況になっていた。私の顔を見て安堵するスタッフとため息を漏らすスタッフが見えた。

「坂本さん!今までどこに行ってたんですか!?」
「えっ・・・あの・・・」
「坂本さん戻りましたー」

 私を心配して様子を見に来たスタッフに一言声を掛けていると、「怜夢!」とマネージャーの大きな怒号が響き渡った。鬼の形相を見せるマネージャーにスタッフが通路を開けていく。
 私の元に駆け寄るハイヒールの高い音が私を竦ませる。今にも泣きだしそうだった。

「いったい何処に行っていたの?」
「それが、その・・・お手洗いに・・・」
「馬鹿言わないで。いま何時だと思っているの?」

 マネージャーの視線から逸らすように時計を覗く。それは私の記憶から既に一時間は経っていた。お手洗いという理由で通じる様な時間の経過ではない。一時間の記憶が丸々私から抜け落ちていた。
 それを言って果たしてこの場にいる皆が納得できるのだろうか・・・・・・。
 マネージャーの怒りに油を注ぐような行動ではないだろうか・・・・・・。
 今までの私の態度、私の行動で、許容されるような範囲なのだろうか・・・・・・。

「ちゃんと誰かに報告してきたの?誰かに許可取っていったの?」
「ご、ごめんなさい・・・」
「謝罪なんて言葉はいらないわ。どうしてみんなに迷惑をかける行為をしたの?その理由を教えなさい!」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
「いい加減にしなさい、怜夢!どうして本当のことを言ってくれないの!今までいったい何をしていたの!言いなさい!!」
「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!」
「怜夢・・・あなた・・・本当は逃げ出そうとしていたんじゃないわよね?」
「ちがいます。それだけはちがいます!ごめんなさい!本当にごめんなさい・・・」

 何が何だかわからない状況で、何も言えず、何も伝えられず、ただ「ごめんなさい」と、私は言葉を繰り返すことしかできなかった。
 他の誰よりも状況を理解していない。どうして私が謝らなくちゃいけないのかと疑問さえ脳裏をよぎる。床に涙を零し、顔を上げられないくらい酷い顔になりながら、ただ、場の雰囲気を和ませたい一心で私は頭を下げ続けた。
 埒があかないと無言で立ち去るマネージャーが居なくなったことにも気付かず、入れ替わりに私のことを気にかけてくれたスタッフたちが優しい言葉をかけてくれた。そうなって初めて私は解放されたのだと思った。

「無事でよかったよ。坂本ちゃん」
「ご、ごめんなさい。本当に・・・ご迷惑おかけしまして・・・」
「いいんだよ。坂本さんが無事ならそれで」

 悪いことをしたことを分かっている。時間が限られている仕事の中で一時間もの間作業を止めて私のことを探してくれていたスタッフのことを考えると不便でならない。それでも私を気遣って追い打ちをかけることをせずに優しくしてくれるスタッフに心が癒される。
 だけど、それでも、いつも仕事をさせてくれるプロディーサーは「でも・・・・・・」と――


「あなた、本当に坂本さん?」


 私に対してまるで別人を見る様な視線を向けてくる。ぞくっと背筋に寒気を感じながら私は答える。

「はい、坂本ですが?」
「そう・・・ごめんなさいね。ヘンなこと聞いちゃって。ただ、あまりに普段と雰囲気が違ったから」

 まるで私の中に住まうもう一人の私の片鱗を垣間見たような居心地の悪い言葉を投げかけていた。
 そんなの私の中にいるわけがない。もう一人の私という怪物を私自身育ててしまったなんて思いたくない。二重人格、多重人格者の話を聞いたことがあるけど、社会のストレスで私自身生み出してしまったとは考えたくない。
 仕事の途中で意識がなくなったことも、一時間もの記憶力の欠如も、もっと別の理由があるんだって信じたい。 
 坂本・・怜夢・・普通・・いたい・・・と信じたい。
 でも、残念ながらそんな想いは脆くも崩れ去ることになる。
 その夜、マネージャーから送られてきた一通の画像とお知らせ。それは、私が知らない男性と眠る裸の写真が流出したことを知らせる内容だった。
 後日、私の仕事は一切白紙に戻った・・・・・・。
 ・・・・・・・・・
 ・・・・・・
 ・・・

 翌日から私は世間を騒がす人物になっていた。
 新聞社は一面記事に載せ、テレビ各局はニュース番組で大々的に放送し、雑誌では詳細を掲載し、報道者は事務所、自宅周辺、友達、ファン片っ端から情報収集を始めていた。
 私は堂々と表を歩けるような状況ではなくなり、熱りが冷めるまで自宅待機がくだった。実質的な謹慎処分であり、現実的に自主退社を願う事務所の態度だった。
 太陽の光すら遮るようにカーテンの締まった部屋の中で毛布にくるまり、ただじっと時間が過ぎるのを待ち続ける。
 一時間の記憶を失った日から私の生活は一変した。アイドルとしての生命を断たれ、今度は世間から叩かれる人生に転機する。ファンの声援はアンチの罵声に変わり、信用は失墜。それはまるで明と暗がはっきりわかるくらいの暴落ぷりだった。

「どうしてこうなったの・・・・・・」

 『空白の一時間で枕営業?!』という見出しと供に私と事務所にダメ出しをするコメンテーター。私の携帯から送られた写真に関しても、事務所は事実を否認し、『SNSアカウントを乗っ取られ、コラ画像をあげられた』と回答し続けている。アイドルとして輝く私の人生は今や犯罪者としての扱いだった。事務所に対する不平、不満を洗いざらい報道し、私が悪者のように扱われていく。テレビだけでもなく、ネットでも私のアンチスレが立つ始末。匿名でいくら擁護を試みても、

『痴呆症でしょ。病院イケBBA』
『おばあちゃん、ご飯は昨日食べたでしょう?』
『うーん。これは嘘松!」
『本当松なら悲しすぎるから嘘であってほしい』
『伝説の名を穢すアイドル。一刻も早く記憶から消し去りたい』
『生まれてくるのが早すぎたアイドル』
「・・・・・・・・・」

 まるで世界に味方なんて一人もいないような扱いだ。今まで私は私自身偽りだと思っていたけど、本当は世界そのものが偽りだったのかもしれない。本当の世界はこんなにも酷く、惨く、辛いものだったんだと思い知らされる。
 住み心地が良かっただけで、環境を守られていた私は、幸せを盲目になっていたのかもしれない。地獄の世界はココにあるんだと知って死にたくなった。
 元からやりたいわけじゃなかったアイドルに手を出してしまったために私の人生そのものが取り返しのつかなくなってしまった。就職活動も不可能に思える状況でいったいどうやって生きていけばいいのかわからない。
 私すら正解の見えない岐路に迷い込み、ただ無意味に時間を過ごしていくしかなかった・・・。
 一週間・・・・・・
 一ヶ月・・・
 ・・・

 三ヶ月が経過した頃。私の脳は寝て起きてを繰り返して完全に蕩けてしまい、何を血迷ったのか思わずカーテンを開けてしまった。
 三ヶ月ぶりに浴びる太陽の光に視界が失う。眩しいくらいに快晴の天気と雀の鳴き声が朝の時刻を知らせてくれる。
 かつて私の家を囲っていた報道記者の姿は今やどこにもいなくなっていた。人のうわさも75日というくらいだし、私の報道に世間が飽きてしまったのかと、ようやく私はこの時自分の置かれている立場を再認識した。
 誰とも会話をしていないため、声は以前にもまして出なくなっていた。そして、体重も痩せてしまい目の下に深い隈ができており、別人のように見えてしまうほどだった。
 そんなことよりも――

「あの画像・・・・・・」

 私は改めて自分の携帯に残った例の画像を見つめた。
 時刻は運命の日。私が記憶を失っている間に、見知らぬ同じ年くらいの男性が眠っている隙に裸で笑顔を向けて自撮りする問題の画像。
 そこに映る男性なら、この未解決事件の重要な手がかりを知っているのではないだろうか。
 この事件、私はただ謝っているだけしかできなかったけど、それだけでは自分を納得できない。
 不条理な理由で信用を失墜させた原因を私は知りたい。
 空白の一時間で私は彼と一体何をしていたのだろう。
 納得できる理由が欲しい。
 私は自分を守るために戦おう。
 そのために、彼と会おう。
 勇気を出して、彼に会いに行こう。
 その後のことは、彼に会った後に考えよう。
 私はもう幸せにはもうなれないなら、不幸から脱しよう。

 そして、普通に生きて、普通に死のう。
 
続きを読む

↑このページのトップヘ