催眠をかけるには相手を落ち着いた気分にさせることは必須条件。僕は決して厭らしい催眠をかけるつもりはない。ただ楽しい催眠をかけているにすぎない。この御時世、疲れた住民たちがごまんといる、生きているのに疲れた者は人とのかかわりすら断ち切ってしまう。そんな悲しいことはない。社会がどれだけ楽しいか、それをお見せしましょう。

「いらっしゃい、”アスモ”。今日も来てくれてありがとう」

 行きつけのキャバクラで普段のブースへ腰つけると、常に御指名する小百合ちゃんが赤のドレス姿で現われた。現役女子大生で一人暮らしをしているという。 

「水割りでいいですか?いいですよね?いつもので」

 彼女は軽やかな声で普段の濃さの芋焼酎を作り始める。
 ほっそりとした女性で、短めのドレスから覗いている腕や足もすんなりと伸びている。襟足で切り揃えたボブヘア、ほっそりとした顔立ち。猫を思わせるような切れ長の瞳で、あまりキャバクラの雰囲気に向いているようには見えない。でも、逆にいえば彼女は素でやっているようにも見え、新鮮さがあった。

「ありがとう、じゃあ俺も作ってあげるよ。お嬢割り、薄めで良いね」
「ありがとうございます」彼女は笑って応えた。

 僕達はそれをきっかけになごやかなムードになり、しばらく話しこんだ。

 

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「今日はお仕事どうでした?」
「あはは。さっぱりだよ」
「ですよね。今どき催眠術師なんてはやりませんよ」
「そうかな?」

 芋焼酎をぐっと呑んで喉を潤す。

「そうですよ。今の方々はいろんな意味でお硬いですよ?テレビや新聞、音楽業界も長年続いていた催眠が解けちゃったみたいで、売り上げや視聴率がさっぱりなんだそうですよ」
「情報を共有するからね。真実を探すことが近年で容易になってしまった。特に裏の情報が漏れやすくなった。マジシャンが隠したかった種が、インターネットで検索すれば簡単に知ることが出来る」

 そう、全ての事には種がある。小さな事をこつこつばら撒き、水を与えて仕掛けは開花する。それはどの仕事もそうだ。しかし、近年は水を熱湯に変えられたり、肥料を馬糞に変えられたりと散々だ。ああ、コンクリートが鉄板になりそうなくらい陽の光が強い。このままじゃ焼かれて倒れてしまう。

「催眠術師もまた、消えていく運命なんでしょうか?」
「……そうかもしれないね。でもね、催眠にかかる人が少なくなったわけじゃないんだ。催眠にかかったことを笑って許してくれる人が少なくなり、怒り憤慨する人が多くなった。騙されたわけじゃないのに、催眠という言葉を毛嫌いする。肩を揉んで気持ちよさそうにしたのに、『それは催眠だよ』っていえば怒られるんだ。やりきれないだろ?」

  言葉狩り、法的処罰、児童ポルノ。二次にも人権を持たせる条例。くだらない法令が多くても、一人でも声を大にして叫ばれたら、弱い者を助けてしまうのが社会だ。本当は誰も弱くないのに。弱いと思っているのは、心がないからだ。

「なるほどね。受け入れる心が大事ってことね」

 小百合ちゃんが良い事を言った。心がない人は人の意見を受け入れられない。心がないから自分が強いと思っている。だから人を傷つけられる。心がないから考えない。
 何も考えられない。だから次の手段を講じる。

「目に見えるものが真実とは限らない。人の見えるものは思っている以上に少ないんだよ。それを再確認しないと、小さい人間になってしまう。お金がないないっていいながら社会にはお金があるんだよ?使わないとお金は循環しないのに、目に見えるお金に執着した結果が小さい社会になってしまっている」

 幽霊を信じる?超音波を信じる?噂を信じる?愛を信じる?
 紫外線も赤外線も目視でいないのに、超常現象は否定する。人には人の住まいがある。
 人だけが生きる鎖国状態。

「生きづらい世の中ね」
「まったくだね、ふう」

 つまらない世の中だ。お酒がまずくなってしまう。ただ静かに焼酎を飲み干し、グラスを空にする。すると小百合ちゃんはグラスが空いたのを確認して再び芋焼酎水割りを作ってくれる。ただ、言葉はない。キャバクラにきてこんなお客様が来たらやりづらいことこの上ないだろう。愚痴を聞きながらも楽しませなくちゃいけないのがキャバ嬢だ。

 そして、ご安心ください。
 ここまでが全て、俺の仕組んだ種である。

  小百合ちゃんが仕事の事を聞くことも、暗い雰囲気を作り出すことも、グラスを空にするタイミングも俺の撒いた種だ。その結果、小百合ちゃんの次に出てくる言葉は、これしかないのだ。

「ねえ、催眠。私にかけてください」

 きた。小百合ちゃんに見えないように拳をぐっと握った。

「あはは。催眠ならかけたけどかからなかったじゃないか」
「前回は調子が悪かっただけかもしれないです。今日は調子がいいかもしれないです」
「前回、『私絶対かからない自信あります』なんて断言しといて今日はかかるかもしれないなんて本当に調子いいね」
「あはは」

 小百合ちゃんが今日はじめて笑った。おそらく緊張が和らいだのだろう。俺は小百合ちゃんに向き直った。

「じゃあ、君は催眠にかかりやすいかどうか、テストしてみよう」
「そんなことできるんですか?」

 彼女は興味津々だった。なまじ自分は催眠術などにかからない、という自信があるものだから、全く警戒心を持っていない。
  彼女は絶対に催眠にかかった『フリ』をする。それが俺の漬け入る隙だ。

 「簡単だよ。まず手をひざの上で組んで、そう、そして両方の人差し指だけを立てて」

  俺は彼女の手をさりげなく取り、しっかり組ませた。

「そう、それでいい。じゃ、ちょっと一回深呼吸をして。もう一度。そして人差し指の先をじっと見るんだ」

 彼女は素直に指示に従っている。

「じっとよく見て」

 俺は彼女の耳にささやくように話しかけた。まわりの人間が見ていれば、さぞかし熱心にくどいているように見えるだろう。

「じっと指先を見ていると、だんだんと指と指のさきがくっついてくる。ほうら、だんだんくっついてきた。離そうと思えば思うほどくっついてくる」

 今や彼女は真剣なまなざしで自分の指先を見詰めていたが、どうしても指は少しずつ少しずつくっついていく。かすかに彼女に苦悶の表情が現れた。これも簡単な種だ。人間の筋肉の関係で、どんな怪力の人間でも、こうすると否応なく指はくっついてしまう。小百合ちゃんが逆らっても無意味なことだった。さらに指と指は近づき今にもくっつこうとしている。

「ほら、もうくっつくよ」
「あれ?あはは……くっついちゃった。凄い!私、催眠にかかっちゃった」

  本当に指がくっつきそうになっていることに少し怖くなったのか、笑ってごまかそうとしているけど、

――絶対に逃がさない。

 テレビディレクター?マジシャン?新聞勧誘?音楽業界?はっ、くだらない。
 本物の催眠術師をあんなエセ者どもと一緒にするな!
 胡坐をかいてくつろいでいた者と、土下座してでも相手に繕っていた者の差は天と地も違う。
 催眠術とは現象となった力。誰も解読が出来ない無意識の暗号操作。

  ――知れ!催眠とは不滅なり。我は不老不死と成った世界で只一人の催眠術師である。

 「うん、そうだね。『だから君は私の言うことに逆らうことはできない』。前回もそうだけど、君はとっても催眠術にかかりやすい体質だね。『僕の言葉を聞いているととっても気持ちがいいだろう。どんどんゆったりとした気持ちになっていく。そうなればなるほど、指はくっつく、くっつく。ほら、くっついた』」

  指は俺から見ても完全にくっついた。しかし彼女はその指先を見詰めたまま動かない。眼はもう焦点を失っている。

 「『そのままの状態でよく聞いて。今の君には私の声しか聞こえない。私の声だけを聞いているともっと自由にリラックスできる。そうだね』」

  彼女が虚ろな表情でうなづく。

「『いいかい、これから私の言うことをよく聞くんだ。何時まではたらくんだい?』」
「11時」

 催眠状態特有のぶっきらぼうな口調で小百合ちゃんは答えた。

 「『これから今日は疲れを一切感じないけど、11時を過ぎると疲れが一気に溢れ出てくるよ。今日はもうどこにも行く気がしなくなる。真っ直ぐ家に帰りたくなる。君の家はどこだっけ?』」
「神保市鳴神町〇〇△―□。サイエンスアパート602号室」

 前回、小百合ちゃんに催眠をかけたのは、かかりやすさを試しただけ。今回から容赦をしない。 俺は住所を特定するとニヤリと笑ってしまった。

 「『これから催眠を解くけど、君は今起こったことは何も覚えていない。3つかぞえるとさわやかな気持ちで眼が覚める。1、2、3』」

 パンッ!と手を叩くと小百合ちゃんははっとしたように我に返った。

「わたし、いま・・・?」
「いやあ、やっぱり君はかからないな。降参だよ」

 わざと大きな声で言った。そこで彼女もはっきりと眼がさめたようだった。

「あ、あはは。今日も調子悪かったんですよ、きっと」

 彼女は普段通りの表情で笑ったが、本当に勝ったのはもちろん俺の方だった。
 そして、しばらく時間を過ごした後、黒服の男が現われた。

「あっ、もうそんな時間ですか。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいますね」
「あはは、そうですね」

 席を立ってお会計を済ます。ここのシステムは受け持ったキャバ嬢が最後まで精算をしていく仕組みだ。

「じゃあ、お会計」

 金額は普段通り、芋焼酎数杯飲んで二万とはぼったくりの何物でもない。でも、俺は財布を開けると、

「はい、これで」

 と、小百合ちゃんに差し出した。

「えっ?あれ?」

 小百合ちゃんがぽかんとしている。俺はお札を出したようなしぐさをしただけでお札の姿は何もなかった。キャバ嬢として働く以上お金の管理はしっかりしなければならない。黒服の男も会計している僕に目を光らしている。
 しかし、俺はニヤニヤと笑って状況を楽しんでいた。

「?渡しましたよ?それとも、見えているものが真実としかとらえていないんですか?僕が言ったこと何も分かってないじゃないですか!!?」

 お金は社会にあります。循環していないお金が何処かにあるのなら、俺はそのお金を今差し出した事になる。小百合ちゃんは、

「あ、あります。確かにもらいました」

  慌てたようにもらったお金をレジに入れる。それを見て満足気に頷いた。

「ちなみに、チップも入ってます」
「あっ、本当だ。ありがとうございます!」

 小百合ちゃんへのアフターケアも完璧だ。俺は扉に手をかけるとベルがチリンとなった。

「またよろしくね、小百合ちゃん」
「ありがとうございました。またお越しください」と笑顔で頭を下げる小百合ちゃんを最後に見て、扉は閉まった。
 どうやら小百合ちゃんはまだ分かっていない。またって、もう数時間後だってことに。