麻生が遅れて教室に到着する。『鏡』を使って准を朝比奈先生に変身させたとはいえ、二人が鉢合わせするのは非常にマズイと考えていた。出来れば准(蓮)には一刻も早く教室から抜け出していてほしいと思っていた。
 教室をそっと覗くと、准(蓮)が仁王立ちしていたのだ。
 久美子や朝比奈先生(准)がいるのも確認でき、いったいなにを考えているのかと慌てて教室に入ってきた。

「もう、蓮!なにしてるんだよ!早く逃げるんだよ!」

 麻生は准(蓮)を捕まえて必死に教室から引っ張っていく。准(蓮)は麻生の登場に驚きながら、床に転ぶ明音(准)が目の前にいるのに何もせずに教室を出ていこうとしている麻生の腕を振り払おうとしていた。

「待て!まだ俺自身が満足してねえ――!」
「いいから来い!」

 グイグイと、准の力では麻生の腕を振り払うことが出来ないのか、やがて教室から押されるように出て行ってしまった。授業が始まった廊下に准(蓮)の絶叫が響き渡っていた。
 残された久美子は一連の流れが理解できず、一人唖然として残っていた。しかし、准に身ぐるみ剥がされて落ち込んでいる朝比奈先生を思うと、ゆっくりと駆け寄って安否を気遣ったのだ。

「先生……大丈夫ですか?」
「はぁ……はぁ……」

 久美子にも答えられないほど朝比奈先生はそれほど落ち込んでいるのだと思っていた。親友とはいえ、准があんなことするのは久美子でも信じられない。
 でも、久美子自身もまた准に弄られてしまった経緯から言葉を掛けづらいものがあった。女性同士での行為を味わった二人は、これから先どうしたらいいのか困ってしまっていた。

「はぁ……いまの……」
「えっ?」

 朝比奈先生がグッと力を入れた。叫びたい言葉を堪えてゆっくり立ち上がると、まるでゾンビのようにゆらりと廊下へと消えていった。

「………ぜったい、許さないいいいぃぃぃ!!!」

 前言撤回。朝比奈先生の絶叫が廊下から大きくう木霊して久美子は思わずビクンと肩を震わせてしまった。



 ・・・
 ・・・・・・
 ・・・・・・・・・

「蓮は無茶しすぎだよ」

 准の『変身』を解いた蓮は早速麻生からダメ出しを受けていた。

「悪戯にも限度があるよ。本人に対して悪戯するなんて無謀すぎるよ。まるで自分を捕まえてくださいって言ってるようなもんだ」

 『変身』してもそれは偽物。『本人には確固たる自我』がある以上、『変身』しても悪戯は普通通じない。今回、それが通じたのは久美子を通じて准が動揺していたからだ。でも、それもまた時間稼ぎにすぎない。もしこれ以上、蓮が准に対して行為を進めていたら果たしてどうなっていただろうか。

「わかったよ。麻生に助けられたよ。あんがと!」

 自棄になった様に頭を下げる蓮。ジト目でその様子を見ていた麻生だが、事なきを得たのでそれ以上追及はしない。「わかればいいんだよ」と、軽く諭して終わりにする。

 ――キーンコーン・・・

 授業が終わる。悪戯の時間が終わったのだ。

「おい、麻生。わかったから、『鏡』を返してくれよ」

 蓮が手を伸ばして『鏡』を受け取ろうとする。反省の色ゼロである。

「蓮。一つ聞きたいんだけど、今日、テストがあったって本当?」
「――――あっ」

 蓮の表情が青ざめる。「忘れてた」と、声には出ずに口だけ動かして伝えていた。

「いや、覚えてたんだぜ?麻生に急いで『鏡』のことを伝えなきゃって思ったらいてもたっても居られずに、全部忘れちまった!」
「ダメじゃん!一番伝えなきゃいけないこと忘れちゃだめじゃ~ん!!」

 おそらく蓮が麻生の家を訪れたのはソレが原因だったのだろう。

「それが……どうしてこうなった?」
「まったくだよ」

 麻生と蓮はそろって補習である。二人は溜め息をついた。

「『鏡』は補習が終わったら返すよ。あと半日の辛抱だよ」
「なげえええええ!!」

 まるで一番のお気に入りの玩具を取られたように廊下を転がり悶絶する蓮。

「大丈夫。俺は蓮と違って悪いことには使わないから」
「むっ、なんだよ。俺が使うと碌なことに使わないように言いやがって……」
「あはは。俺は蓮の近くにいるから心配しないでよ」
「ううっ、なんだよその言い方は……ちょっ、ちょっとトイレに」

 ゾクゾクと寒気を感じた蓮は足早にトイレに駆け込んでいく。

「あっ、俺も」
「そこまで付いてくんな!!」

 怒鳴りながら蓮はトイレに消えていった。ひょっとすると、蓮は謝りながらも良い場面を麻生に持っていかれたことに反感を抱いているのかもしれない。もしあのまま麻生が現れなければ、うまくいけば准も久美子も美味しく頂くことが出来たかもしれない。そんなギャンブルを麻生は逃げ、方や蓮は挑もうとしていた。その違いが今の蓮を怒らしているのだ。
 そして結局、『鏡』も蓮のもとに戻らず麻生が所持をしているのだ。思うようにいかない蓮に苛立ちが募る。
 これはその落ちつきを取り戻すための時間がほしいのである。

「なんだよ、冗談なのに」

 しばらく麻生はトイレで蓮が戻ってくるまで廊下で待っていた。授業が終わり、生徒がまばらに教室から出てくる。先生が職員室に戻り、廊下に生徒たちの活気づいた声が戻ってきた。

「宝城くん」

 その中で麻生に声を掛ける人物がいた。朝比奈先生だった。体育の授業が終わってすぐなのか、運動着姿の先生が麻生を見つけて近づいてきた。

「どうして授業に出なかったの?」

 先生は普段の口調ながらも怒っているように麻生を睨んでいた。麻生が授業を無断で休んだことで諭しに来たのだ。

「あっ、それは……」
「サボりね。いったいなにをしてたの?」

 ここでまさか『鏡』を使って悪戯してましたと言えない。しかし、すぐに返事を返せない麻生は濁しながらも言葉を紡ぐ。

「す、すみません。お腹が痛いって、蓮が言うからその付き添いで……」
「……ホントウに?」

 先生の目がさらに険しくなる。

「ハ、ハイ!」

 思わず背筋を伸ばし直立で受け答えしてしまう。朝比奈先生が麻生の手に持つ『鏡』に気付いた。

「……なにを持ってるの?」
「あ、それは――!」

 慌てて隠そうとする麻生だが、朝比奈先生はまるでトンビが獲物を捕まえるかのように、今まで見せたことのないほど素早い動きで麻生の手から『鏡』を奪いとったのだ。その早技は一瞬、麻生でさえ『鏡』を奪われたとは思えないほどだった。
 朝比奈先生の手に移った『鏡』に自分の姿を映していた。

「『鏡』?少女趣味ね」
「関係ないでしょう?返してください!」
「ふぅん……」

 朝比奈先生は麻生のいうことを無視するように歩いていってしまう。急いで麻生は朝比奈先生の後を追った。角を曲がり階段を降りようとしているのか、とにかく麻生は急いで追いかけた。
 角を曲がった瞬間――、朝比奈先生の姿を一瞬見失った。

「えっ?――あっ!」

 ガッ――と、急に背後から手が伸びたかと思うと、麻生は反転し壁に押し付けられていた。目の前に映る朝比奈先生が麻生を締めたのだ。

「ぐぅ――!」

 ギリギリと首を絞められる麻生。先生の二の腕が麻生の首にがっちり嵌っており抜け出すことが出来なかった。

(どうして――?なんで朝比奈先生が――?)

 そんな言葉を口にしたくても、首を絞められ苦しめられると、そのまま窒息してしまうのではないかと思う。口から涎が零れていた。
 なんとか酸素を残そうと暴れたい思いを抑えて、蓮が助けに来るまで時間を稼ごうとした。しかし、それも無駄だった。

「さっき蓮を連れてなにをしたの?なんで蓮が私の姿になってたの?――言いなさい!この姿をどうやったら元に戻せるの!?」

 その声は先程とは全くの別人。朝比奈先生の姿のままいつの間にか職員室に忍びこんで先生の運動着を盗んで着替えたのか。麻生を油断させるための罠にまんまと嵌ったのだ。

「じゅ、准……!!」

 麻生は教室で蓮が准と鉢合わせするよりも最悪な状況が脳裏をよぎった。