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 散歩に出ていた由美が、背後からなにかがぶつかったような感触があった。

「――なに!?」

 背後を見ても姿はない。だが、その感触は分厚い壁を通りぬけて自分の身体の中にすうっと入ってくるかのような衝動だった。

「……いやあ……はいってこないでええ……」

 その場にうずくまり小さく震える。時折苦しそうに「あっ」と言う声が漏れる。
 しばらくして麻美の表情が一瞬消えて目を閉じた。
 だが、次の瞬間には麻美が急に起き上がったのだ。

「えっ、なに――?……えっ?」

 意識を取り戻した由美はまわりをきょろきょろ見回して、しばらくして自分の身体を見比べていた。
 状況が把握できたのか、落ちついた由美が呟いた。

「本当に出来たんだ……」

 由美の声で、毅は呟いた。これが毅の初憑依だった。


 ・・・
 ・・・・・・
 ・・・・・・・・・
「すごい。自分の身体じゃないのに俺の思うとおりに動く」

 毅が由美の身体で手のひらを握る。他人の身体がまるで自分の身体の様に動くことがとてもうれしかった。

「この人誰だろう?」

 ポケットの中にある財布を取り出す。カード入れの中に免許証も入っていた。

「麻上由美さん……二十歳なんだ。へえ。俺の姉ちゃんと同じ年だ。姉ちゃん知ってるかな?」

 っと、そうだった。毅は本来の目的を思い出す。

「家に帰らなくちゃ」

 そう言って一歩前に足を出す。

「―――――くぅ」

 歩く度に毅は悦びを噛みしめる。歩くことを絶望していた毅にとってまた外で太陽の下歩くことが何よりも幸せだった。いや、それだけじゃない。先程まで何も見えなかった状態で、今は由美の目、鼻、口、耳、そして感覚を使うことが出来るのだ。

「由美さんに感謝しないと。ありがとう、由美さん」

 自分の声じゃなく由美の声で謝ると、少し歯がゆくて小さく笑った。
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 ・・・・・・
 ・・・・・・・・・

 4か月ぶりとなる家に到着した。誰もいないのか鍵がかかっていた。由美(毅)はかつて家の鍵を隠していた植木鉢を調べると、それは今も変わらずに鍵を見つけることが出来た。
 がちゃっと鍵をまわし家に入る。
 電気もついてない玄関に立ち静かに目を閉じた。

「すううぅぅぅ…………はぁ……家のにおいだ」

 毅は嬉しそうに深呼吸すると靴を脱いで自分の部屋に向かった。
 二階昇ってすぐ左の部屋が毅の部屋だ。扉を開けると、綺麗に片づけられた4か月前と何も変わらない自分の部屋がそこにあった。

「ずっと残しておいてくれたんだ」

 電気をつけて部屋を見渡す。何も変わり映えしないのに懐かしさで涙がにじむ。

「……ポスターも取っておいてくれたんだ」

 好きなアイドルのポスターも剥がさないでくれたことに親の愛を感じる。今度会ったらありがとうと伝えなければいけないと思った。

「良かった。僕の部屋があって」

 一通り見渡した後、由美(毅)はベッドに倒れこんだ。ボフッと布団が沈んで由美(毅)を受け止める。今まで感じたことのなかった布団の軟らかさですら嬉しく思える。
 そして、早く家に帰りたいという意欲が湧いてくる。
 貴美子の出した『飲み薬』は大成功だった。


 ………………が、ここからである。
 貴美子の恐れていた事態が起ころうとしていた。



 部屋を確認し満足して身体を起こす。

「次どうしよう?このまま帰ってもまたベッドの上だしな……」

 考える毅だったが、鏡に映る自分の姿を見てゆっくり近づいていく。

「そうか……いま俺由美さんなんだ。こ、こんな可愛かったんだ……」

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 頭がいっぱいの時はただ一心に家に向かうことに気を使っていて、由美自身を見ることをしなかった。だが、心にゆとりをもってしまった毅は由美の身体を鏡に映していろんな表情を浮かべていた。

 怒った顔、笑った顔、照れた顔、悲しんだ顔……

「俺がやっても気持ち悪いけど、由美さんがやるととっても可愛く見えるな。ううん、今は俺が由美なんだ」

 今までと違う笑顔が由美から浮かぶ。
 不穏な空気。
 嫌な予感がしてならない。